Monday, March 19, 2012

裁判員制度 宿題2


日本は民主主義の国である。裁判員制度の導入は、その視点から見ると、当然な成り行きだ。しかし、裁判員制度は早くも困難に向き合っている。死刑判決を下した裁判員は、重大な責任を持つ。確かに、死刑判決に関する裁判に裁判員を関わらせるのには、早すぎるのかもしれない。しかし、市民が責任感を感じるのは、良いことでもある。


市民が国の現状や、将来に発言力や権力を持つことに、民主主義は、基づくものである。市民がこういう判断に加わることによって、国の正義のあり方に関心を育てやすくなる。罪をおかした可能性のある人の顔は、容疑者、又は被告人として、テレビに写る。実に罪というのは、遠い世界の様である。しかし、被告、そして、罪とは、社会の一部であり、それを受け入れて犯罪を防ぐことに、市民は働く義務があってもおかしくない。今の社会は、犯罪歴がある市民に加え、その家族を社会から疎遠にする傾向がある。それは、簡単であるが、その人間の存在を避けることによって、新たな犯罪を防ぐ機会、もっと良い社会をつくる機会を捨てているのだ。社会人が裁判員になることによって、なぜ犯罪が起きたのかを考えるきっかけが与えられる。考える上で、社会全体に関心をもつことにもなる 。どのように人とつながりを持つか、どうのように人と一緒に助け合いながら生きるか。『自』の世界から『公』へと視野が広がるのではないのか。そして広がった視界があることによって、より良い社会作りに貢献することが出来るであろう。


今の裁判員制度上、決して、判決に職業裁判員官の経験や知識が関わらないわけでもない。いわば、一般市民の意見や良識を裁判の判断に加えるということが、この制度の目的だ。それによって、出来る限り、独裁的な判断を避けようとしているのだ。一般人が国の正義や社会作りに関わる大事な一歩が始まっているのだ。裁判員制度導入の初歩の問題に向きあって、より良い民主主義的な正義のあり方を考えることは、大事なことである。

Friday, March 16, 2012

東日本大震災追悼コンサート


3月6日に, Salon de virtuosi (サロン・ド・ヴイルトーゾ)主催の 震災の犠牲者へのコンサートで演奏させていただきました。コンサートは、ニューヨークの日本大使公邸で行われ、廣木大使ご夫妻をはじめ、80人のお客様が出席されました。このコンサートは、チェリストのクリスチーナ・レイコ・クーパーさんとのジョイントコンサートで、私は前半に演奏し、クーパーさんは後半に演奏されました。


コンサートをバッハのG線上のアリアという曲で始めました。この曲は、東日本大震災の犠牲者を追悼するために弾きました。バッハのG線上のアリアは、元々チェロのために作曲されたのですが、様々の編成にアレンジされ、今回は、バイオリンとピアノで演奏しました。

この曲は、去年の夏に、小澤征爾先生のもとで、弦楽のオーケストラのために編曲されたものを勉強し、その時も東日本大震災で犠牲になった方々のご冥福をお祈りするため、何回か演奏する機会がありました。バイオリンとピアノでこの曲を弾くと、オーケストラで弾いたときとは、音の感覚や響きが変わります。夏に演奏した時と、曲にたいする考えや思いは少々変わったとはいえ、曲に対するその大元の思いを、今回バイオリンとピアノの音色でどう表現するかということを考えました。

バッハのG線上のアリアの後、ブラームスのバイオリンとピアノのための三番のソナタから第一楽章、チャイコフスキーのワルツスケルツォ、そして最後にラベルのチガーヌを演奏させていただきました。

長い間、東日本大震災のために何か出来ないかと思っていたので、この度、東日本大震災から一年たつ今、その犠牲者を思って演奏させていただく機会があり、本当に光栄に思っています。

Wednesday, February 29, 2012

なぜ日本語を勉強することにしたか。


数年前に、日本のクラシック音楽家を代表する 武満 徹(タケミツ トオル)が作曲した「Distance de fée」(妖精の距離)という、バイオリンとピアノのための曲を初めて聴きました。とてもきれいで滑らかな旋律、興味深い調和や空間を感じて、将来弾きたいなとその時思いました。一昨年の秋、その曲を取り上げることになりました。
ある日、練習中に、YouTubeでその曲の様々な演奏を見ました。そのうちの一つの動画は、演奏にあわせて、日本の詩が画面にながれてました。とても奥深い内容の詩で、理解はさておき、小学四年までしか国語を勉強しなかった私にとって、その詩を読むのがとても難しいことでした。しかし、その詩について考えることによって、曲をより深く表現することが出来るのではないかと思って、詩の一つ一つの言葉について考えました。
曲を演奏する時には、「翻訳」の作者が言うように、観客にとってある一種の移植作業がおこなわれます。その作業の中で曲により忠実であるには、演奏者はある程度納得の行く解釈をしなくてはなりません。 演奏する際、曲により忠実になるため、その曲が生まれたときどんな世界があったのか、武満さんがどういう環境にいて、どんな景色やものに影響されていたのか、それを想像することによって、自分の中の解釈が 導かかれるのではないのかと思いました。 先々日本人の作曲家の音楽を弾くには、日本の文化を文学や歴史など様々な視点からもっと学ぶのが必要だなと思い、まず日本の文化へ近ずくには日本語は欠かせないので、今年日本語を勉強しています。